やまのひとりごと

なにか考えるとき、少し浮いてる気がします。

人にどう見られているか

よく「人にどう思われてるか」を考えてしまう。

これがもう本当に厄介で、無意識だからたちが悪い。

 

たとえば車の運転中は

「私が今車線変更したら、後ろの車はどう思うかな」

とか

「スピード配分間違えた。でも今緩めたら周りの車にバカにされるかも」

とか考えながら運転してる。

(どう思われようとどうせその場限りの人たちなのに。。)

 

街を歩いている時、お店にいる時、電車に乗っている時、

それはもう常に考えている。

 

最近はこの癖がどんどんひどくなって

自分が自分をどう思っているかさえも気になって仕方ない。

 

例えば、だれかに対してあまり良いことを思わなかったとき

その場で、あるいは後で思い出して振り返っては

「ああ私は何でこんなこと思ってるんだろう。信じらんない。ほんと人でなし」

とか考えて落ち込む。

 

どんだけネガティブやねんとまたそれにも落ち込む・・・

 

理想と現実があまりに違いすぎて、そのギャップを埋めることができない。

 

理想は、周りの人の幸せを心から喜んだり、相手の意見を尊重したり、

その人の立場になって考えられる人でありたかったけど

私はどうもその逆で、

人の幸せが妬ましかったり、相手より自分のことばかり考えたり、

自分の感情ばかり優先するくせに相手にはこっちの状況考えてよとか思ったり

羅列するだけでもがっかりな人間で・・・

 

例えば私のまわりの「優しいいい子」って、そんな感情持ってないのかな?

それとも本当は思ってるけど、私みたいに葛藤せずうまくやれる子なのかな?

とかもたくさん考えるけどわかるはずもなく。

 

そんなことを日々考えながら、日々過ごしております。

 

 

:::追記

 

「人に心から感謝できないな」とよく感じる。

表向きは感謝する。ありがとう、とも言う。

でもそれは「いい人」に見られたいからするのであって

その人に対して心から感謝しているかどうかはよくわからない。

 

友達の大切さってどうやって確認すればいいんだろう。

遠くへ離れたら?この世からいなくなったら?と考えても

毎日会ってない人だからか、あまり悲しみも湧かず。

なんて冷たい人間なんだと、自分のことをまた疑う。

 

インターネットで「感謝できない人間なのをどうにかしたいです。」という質問を見かけた。

それに対しての回答で気になったところを抜粋します。

 

感謝というのはしなければいけない物ではなく、自然とそう思えるかどうかだと思います。
その為には、人生経験の上で苦労やつらい事など様々な経験が必要だと思います。
自分自身にその様な経験が浅いと、相手の気持を理解することや心使いも出来ないと思います。

 

そうか、経験・・・

 

と言うことでこれからいろいろ経験を積んでいこうと思います。